みどころ

史上初! 「埴輪 挂甲の武人」 5体勢揃い!
5体のはにわ

第4章
国宝 挂甲の武人とその仲間

埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」には、同じ工房で作成された可能性も指摘されるほど、兄弟のようによく似た埴輪が4体あります。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しており、日本で見られる機会は限られています。今回、5体の挂甲の武人を史上初めて一堂に集め、展示します。なお、国宝「埴輪 挂甲の武人」は近年修理と調査研究を行い、『修理調査報告 国宝 埴輪 挂甲の武人』(2024年、東京国立博物館発行)として報告書を刊行しました。ここではその最新の研究成果も紹介します。

HANIWA! Brothers!
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国宝 埴輪 挂甲の武人
重要文化財 埴輪 挂甲の武人(部分)
埴輪 挂甲の武人
埴輪 挂甲の武人
重要文化財 埴輪 挂甲の武人
埴輪 挂甲の武人(彩色復元)

国宝
埴輪 挂甲の武人

群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀
東京国立博物館蔵

サムライのルーツ

東京国立博物館を代表する埴輪。頭から足まで完全武装しており、古墳時代の武人の様子を眼前に見せてくれます。考古学的価値のみならず、その造形美から美術的にも高い評価を得ています。
東京国立博物館は、バンク・オブ・アメリカから支援を受け、2017年3月から2019年6月まで、およそ28か月間にわたり解体修理を実施しました。
教科書や郵便切手などで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

重要文化財
埴輪 挂甲の武人 (部分)

群馬県太田市成塚町出土 古墳時代・6世紀
群馬・(公財)相川考古館蔵

地元・群馬はオレが守る!

国宝「埴輪 挂甲の武人」と非常に似た4体の埴輪のうちの1体。いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれ、最高の技術で作られた埴輪です。国宝「埴輪 挂甲の武人」と同じく(ゆぎ)を背負っています。三角文(鋸歯(きょし) 文)のついた袴を着ており、区画ごとに赤色、白色、灰色の彩色がよく残っています。

埴輪 挂甲の武人

群馬県太田市出土 古墳時代・6世紀
アメリカ・シアトル美術館蔵

アメリカから里帰り

国宝「埴輪 挂甲の武人」と非常に似た4体の埴輪のうちの1体。いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれ、最高の技術で作られた埴輪です。(ゆぎ)よりも新しい矢入具である胡籙(ころく)を腰に提げています。本展覧会は、本品がシアトルにわたって63年ぶりの里帰りとなります。

埴輪 挂甲の武人

群馬県伊勢崎市安堀町出土 古墳時代・6世紀
千葉・国立歴史民俗博物館蔵

(ひさし)が深い恥ずかしがりや?

国宝「埴輪 挂甲の武人」と非常に似た4体の埴輪のうちの1体。いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれ、最高の技術で作られた埴輪です。シアトル美術館所蔵品と同じく、右手は腰に提げた胡籙(ころく)に左手は弓に触れ、東京国立博物館所蔵品や相川考古館所蔵品と比べると、より静的な動作になっています。

重要文化財
埴輪 挂甲の武人

群馬県太田市世良田町出土 古墳時代・6世紀
奈良・天理大学附属天理参考館蔵

最後に誕生した!?末っ子

国宝「埴輪 挂甲の武人」と非常に似た4体の埴輪のうちの1体。いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれ、最高の技術で作られた埴輪です。表現からみて最も新しく製作されたと考えられるもので、表現の省略化がみられます。袴が無文となり、足結(あゆい)紐の結び目も蝶結びではなく紐が2本垂れたような表現になっています。

埴輪 挂甲の武人(彩色復元)

令和5(2023)年 原品:群馬県太田市飯塚町出土
古墳時代・6世紀  東京国立博物館蔵
制作:文化財活用センター

国宝「埴輪 挂甲の武人」には、表面に色が塗られていた痕跡が各所に残っています。平成29(2017)年から平成31(2019)年に実施した解体修理に際し、詳細な観察と分析を行いました。その結果、白、赤、灰の3色が全体に塗り分けられていたことがわかりました。このたび実物大で彩色復元を行い、製作当時の姿をご覧いただきます。

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